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望月 明美

AKEMI MOCHIZUKI
Le Jardin/Le JarfinⅡ/酒処 月の庭 オーナー
株式会社エーアンドエム 代表/お水大学 講師

「お洋服が欲しいなあ」というほんの軽い気持ちで友達が働いていた大森のスナックでアルバイトをしました。
お客様方やママに可愛がっていただいているうちに、大学入試はどこへやら…となりました。 そのうちに銀座のクラブをのぞいてみたくなり20才のときフロムAで探し「ジャンティユー」に入店しました。

バブルの少し前で銀座は景気が良く今のようにお店からウルサイことなど何一つ言われないでのんびりお仕事させていただきました。当時は、毎日知らない世界を見ているようで楽しかったですし、素敵なママやお姉様方にあこがれました。 それから「花の園」「ジャンヌ・ダルク」「ヴェルサイユ」と大きなクラブを3軒経験しました。
いろいろ辛いことや悩みごともありましたが、このお仕事を楽しいと感じて好きでした。

売り上げの成績はずっと中の上ぐらいでしたが「ヴェルサイユ」へ移ってから急に数字が伸びました。31才の時「ル・ジャルダン」を買いました。景気はどんどん悪くなる、女の子やスタッフがまとまって退店してしまうなど大変な時はありましたが、何とか続いています。

座右の銘
いつも背水の陣
お客様へのサービスやスタッフや女の子達にできる愛情表現を出し惜しみしない。次回にとか後からとか考えない。いつも背水の陣だから、今、自分のできることの全てを出し尽くす覚悟でやりたいと思っています。
長所
一生懸命な処だと思います。
何事にも他の人達より不器用ですし、助走も長いようです。でも夢中になって目標に向かって努力するのが楽しいです。
短所
だらしなくズボラで大雑把なことです。これは直したいです。
出掛ける前に書類が見付からなくて家中捜し回る、ストッキングの買い置きがなくて遅刻する、用事を頼まれて忘れるなどなど携帯電話は1年に4~5回もなくしてしまいます。このだらしない処を何とか直したいと本気で思っています。
美のヒミツ
年齢と共に身体の機能も美しさも衰えていきます。まさに「つるべ落とし」です。 とはいえ、最後まで戦いたいと思っています。 美しさに対しても「後ろ傷」は受けない覚悟で挑みます。 週に三回、ジムに通って、家でヨガをしています。 エステにも欠かさず通っています。 ときには、メンテナンスをやり過ぎて顔を腫らして出勤することがあります。
チャームポイント
お化粧が上手なことでしょうか、特にありません。
血液型
父がO型、母がO型のO型です。
誕生日と星座
3月8日生まれの魚座です。
“魚ですから水”という理由でしょうか、水商売に向く星座だとどんな星占いのどんな本にも書いてあります。
趣味
本を読むことです。
お客様に紹介された本は何でも読みます。 特に好きな作家は、塩野七生先生、林真理子先生です。
好きな食べもの
太りやすいのが悩みです。常にダイエットしています。大好物は、菓子パンです。菓子パンとカフェオレでお腹をいっぱいにしてみたいです。でも、普段は、健康に気を付けてタンパク質と新鮮な野菜を中心にしています。炭水化物は少なめで、ビタミン剤も飲んでいます。
好みの異性のタイプ
一言ですと「頭が良くて信頼出来る人」です。
お客様を見る目でしたら少しは鍛えられてきたと思うのですが、男性を見る目となると自信がありません。今までは夢中になって突っ込んで辛い思いをしてきたようにも思います。
銀座で一番好きなお店
たくさんあって迷ってしまいますが、1つ選ぶのでしたら「サンク」でしょうか。 カクテルとお料理が美味しくて値段も手頃、横に並んで座れてジャズが聞ける、 といろいろな満足度が高いことが理由です。

about Father

私と父は良く似ているそうだ。目、鼻、口などパーツはそっくりだというし字を書く姿や鼻を咬む姿などがそっくりだと家族達に指摘されて嫌な気持ちになる。 父は昭和9年の長野生まれ、私立のR大学を8年もかけて卒業し、高校教師になり下宿先の娘だった母と結婚。私が生まれた年にR大学に講師として戻る。私が中学3年生のときに北海道の国立M大学へ行き教授になった。現在は北海道のR大学に勤務している。変わった経歴だそうだが父にはとても似合っているように思う。 反抗期の頃、私は父に反発し喧嘩ばかりしていた。高校を卒業してからは私の身の処し方に、父から意見されたり反対をされたりは一度もない。 父は仕事の都合でよく上京しているが、たまに知り合いを誘って店へ来る。私は照れ臭いのであまり席には座らないが、父の来る日は店が混雑して欲しいと思う。心配を掛けたくないからというよりは、父に対して見栄を張ってしまう気持ちがあるようだ。 それでもようやく最近、人並みな父親と娘らしくなってきたように思う。

about Mother

私が23才のとき、突然脳溢血で亡くなってしまった。夢見る少女のような人で身体が弱く本を読むのが好きで、料理と裁縫が得意だった。家の中を手作りの刺繍で飾り、私の洋服も作ってくれた。母の焼くパンとケーキは特に美味しかった。私と似ているのは読書好きなことくらいで顔も性格も得意分野も似ていない。 母の幼い頃は金物屋をしていた生家の羽振りが良くお嬢様で育ったそうだが戦争で生家は没落した。働きながら定時制高校へ通ったが小さな頃から身体が弱く続かなかったそうだ。 母にはとても可愛がってもらった。母の私への期待は強かったようだが全く違う方向へ進んでも認めてくれていたように思う。私が思春期の頃にはずいぶんと母に心配を掛けてしまった。何の親孝行も出来なかったことが母に申し訳なく残念に思っている。

about Grandmother

現在一緒に住んでいる祖母は私の母の母だ。一緒に住んでいるといっても祖母は築50年になる家に住み、私は近くのマンションで眠っている。私は朝起きると祖母の家へ行き食事をさせてもらう。祖母は昼過ぎにマンションへやって来ていろいろと手伝ってくれる。祖母には毎日のように怒られる。「電気が付けっぱなし、もったいない!」「こんな高いティッシュペーパー買って!」などなど小気味良い程早口でまくしたてる。 祖母は大正9年滋賀県の農家に生まれ16才で東京の商家にお嫁に来た。戦争の後、貸家はすべて焼け祖父は病気で働けなくなり看病の介もなく亡くなった。女手1つで三人の子供を育て上げた働き者の気丈夫だ。 祖母は、私の仕事のことをあまり知らないが困ったことがあると私は何でも相談する。「このドレスまだ着れるかなあ?」「若い人用だなー。」「この着物買おうかやめておこうか?」「買っちゃいなさい」「いとこの◯◯ちゃんがまたお店で働きたいってゆってるのだけど」「やめとけー。」とかなり正しいご意見をいただく。何だかんだと私がとても頼りにしている祖母だ。

about Sister

私と9才も年の離れた妹。今でも小さな子供を慌てて呼ぶ時には「京ちゃん!」と言ってしまったりする。一見、大人しそうな娘に見えるがかなり頑固だ。 私がお店を始める時に経理係りとして引っぱり込んでしまった。その頃は北海道の大学を出て教職免許を取り、中学校の先生になりたかったのだそうだが空きがなくアルバイトをしていた。 お店を開店してからいろいろとあり私が一番辛い時に傍らにいてくれて感謝している。二人で一緒に暮らせてとてもたのしかった。今は結婚して子供も生まれ埼玉に居る。


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