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浮気 3 嘘

2020/01/14

令和二年の最初の「ジャルダン便り」は、前回の続きを書かせて頂きました。旦那様が銀座のホステスと浮気しているのではないかと疑っている奥様のお話です。
嫉妬に燃えている奥様を、私としては精一杯に描いているつもりですが、お客様方からは、「ママは、嫉妬深くないんだな。」「興信所を使うなんて女はもっと追い詰められているよ。」などとご意見を頂いています。
「嫉妬深くない」と言われてみますと、確かにそうかも知れません。私は17歳からホステスですので、妻子のある方の浮気相手のほうを勤めるばかりでした。家庭の奥様のお気持ちはやはりよく分かりません。

藤井久美子  主人公、小さな電気会社の社長の妻
藤井直樹   久美子の旦那様
藤井直人   久美子の一人息子、中学一年生
脇田     UI興信所の調査員
すず     「ル・ジャルダン」の藤井直樹の係

≪すず・白いレクサス≫

藤井さんのレクサスの助手席はなんて座り心地が良いのだろう。白い皮の高級なシートにすっぽりと収まって軽快な車の振動にゆられているのは、うっとりするくらい気持ちが良い。シートにヒーターが入っていて、お尻からじんわり温められて眠りそうになってくる。
いやいや、眠るわけにはいかない、運転してくれる藤井さんのお話し相手を務めなくちゃ。
「今日は本当に楽しいゴルフでした。茜ちゃんは上手でしたね。私も練習して頑張ります。」と話し掛けた。
「すずちゃんは筋が良いよ。ちょっと練習したら、そうだなぁ、直ぐに140、いや150くらいにはなれるよ。」
「そうですかぁ~、空振りしなくなりたいです。はぁふゥ~」とあくびをかみ殺すと、
「すずちゃん、眠っていていいよ。」と、藤井さんが言った。
「ううん、大丈夫です。」
「いいから、ゆっくりしてよ。朝早くに起きて走り回ったし、眠くなって当たり前だから。」と藤井さんが気遣ってくれる。
「いえいえ、起きていますって。」と答えたものの、レクサスの心地良い振動に眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、私のマンションの前だった。
「すずちゃん、着いたよ!」
「ごめんなさい、すっかり寝落ちしちゃいました。」
「お疲れ様、じゃぁね。」と、藤井さんがあっさりと帰ろうとするので、このままお別れするのが寂しくなった。
「あの、あの、ちょっと珈琲でも、いかがですか?引っ越したばかりで片付いていないのですけれど、私の新しいお部屋を見てもらいたいんです」と藤井さんを誘った。
「ええっ、いいのかなぁ」藤井さんが断ってきそうに見えたので、
「あの、1DKで狭いんですけど、ちょうど小さいけれどテーブルが届いてお部屋っぽくなってきたので。」と、自分でもあまり意味がないと思う言葉を付け足した。
「その奥の右にコイン・パーキングがありますから。」と言った。
藤井さんの運転はとても上手だと思う。私が案内したパーキングは細い道に面していて、三台分の小さい場所なのだけれど、さっと一発で格納させた。
そんなにいろいろな人の運転に乗ったことはないけれど、お父さんや叔父さんや同級生の男の子より、ずっとスマートだと感心している。
藤井さんが止めた駐車場から私のマンションまで歩くと二分くらい掛かる。藤井さんが私の家に初めて来てくれることが嬉しくて、藤井さんの腕に手を回した。

「わぁ、女の子っぽい部屋だなぁ。」と、藤井さんが声をあげた。
私の新しい部屋は1DKで、玄関を入ると右側に小さな台所があって、そのままベッドルームになってベランダに出て終わりである。
「白で統一してある家具に緑色がアクセントになってるんだね!センスが良いねぇ、ふーん。」と、しきりに感心する藤井さんを、テレビの前の小さなテーブル前に案内した。
「この小さなサボテンが良いねぇ、この猫の写真は、いつもお話しに出てくるピコ太郎君だね?」
テーブルに飾ってある猫の写真と三つの小さな植木鉢を、いかにも興味を惹かれた様子でじっくりと見た。

珈琲の引き立ての香しく甘い香りが部屋に満たされた。藤井さんが砂糖もミルクも使わないことは知っている。
「美味しい、ありがとう。」という藤井さんの隣に、自分用に入れたコーヒーカップを両手に抱えて座った。
藤井さんの左の腿にピッタリと身体を付けて、左下の方向から珈琲を飲む藤井さんの顔を眺めた。
40代後半になっている藤井さんの、少し疲れた感じの肌の感じが堪らなく格好良いなぁと思う。ジャニーズや若手の俳優のツルツルの頬なんかに魅力は感じない、このくらいに深い皺が刻まれて、少したるみ感のある肌が何とも一番に魅力的だ。

じっと見ていると、そうして欲しいと願っていた通りに藤井さんが私の肩に手を回してきて、私も藤井さんの首に手を回した。藤井さんの唇に、そうっとキスした。

≪久美子・嘘≫

直樹さんは、やっぱり嘘を吐いていた。
何が取引先の山川部長との接待ゴルフだ、気難しい客だから大変だなどと、よくもしれっと言えたものだ。
この調子では午前様になったとき言い訳も全てが信用できない、田中部長のカラオケが止まらなかっただの、帰ろうとしたら部下に真夜中に締めのラーメンに付き合わされたの、一切金輪際信用するものか。飲み会とは大変なものだと同情してきて馬鹿を見た。
直樹さんはレクサスの助手席に若い女を乗せているという。あの席は私の席である。どこの馬の骨とも知れない泥棒猫の女を乗せるとは至極不潔で絶対に許せない。
直人さんが帰ったら、助手席を除菌スプレーで消毒して、縁起が悪いから塩を撒いてやる!助手席とそれから車の正面にも、いや車の隅々まで塩を撒こうと、気持ちが燃え滾ってきた。

「久美子、そんなに顔をしかめてどうかしたのか?誰からの電話だい?」と、父が心配そうに私の顔を覗き込んた。
「あっと、その何でもないの、ちょっと。」と、無理矢理に笑顔を作った。
車椅子の祖母の元に戻ると、母と話している間に私が誰であるかを思い出してきたらしい。
「東京はどうね、あっちは情が薄かね、苦労してろうか。」と尋ねてきた。
「ううん、大丈夫よ。直人も元気に大きくなっているし、良い感じなのよ。」と、強がって答えた。
が、直樹さんとあの写真の女がドライブしている場面が映像のようにハッキリと浮かんできて、思わず涙がこぼれそうになった。
祖母の生気のない皺だらけの手を握った。長年の苦労が沁みついた、身体の割に大きく肉厚な手だった。祖母は意外にも力強く私の手を握り返してきた。
「健康第一や。無理せんで、意固地はらんと、何事にも感謝して、健康ならええや。」と、祖母が健康という言葉を繰り返した。
祖母は、私の置かれた状況を多少なりとも理解して慰めてくれているのだろうか、惚けた頭で調子を合わせているのか、いや、調子を合わせているだけに違いないのだけれども、その言葉が私の耳にリフレインした。
健康なら良いというのか、夫の浮気や嘘や不実な行動についても、感謝しろとでも言うのだろうか。
「久美子、大丈夫?」と、母が携帯のテッシュを差し出して私の顏を覗き込んだ。
「うん、お祖母ちゃん見ていたら、せつなくなって。」と、こぼれた涙を祖母の病状のせいにした。

夕方、直人が大阪に着いて、父と母と直人と私の4人で食事をした。
実家のテーブルは、私が確か高校生のときに新調したもののままで、母の手作りの懐かしい味が食卓に山盛りになっている。母が自慢の具沢山のつくね鍋、手作りの漬物。直人が前回の帰省のときに丸ごと食べてしまったアップルパイも焼いてあった。

脇田からの連絡はあれっきり入ってこない。
直樹さんが自宅に帰れば、尾行を続けるか続けないかの判断を仰ぐメールが入ってくるはずである。その連絡がないということは、直樹さんはまだ自宅に帰っていないのだ。まだあの卑劣な女狐と一緒にいるのだろう。
直樹さんへ18時頃に『直人と合流しました』と送っていたラインが、11時過ぎにようやく既読になって『おやすみ』とスタンプが押されてきた。
だが、脇田から尾行を続けるか辞めるかを確かめる連絡は入らない。たぶんきっと直樹さんはまだあの女狐と一緒なのだ。この「おやすみ」のスタンプも、嘘の上にさらに真っ赤な嘘で塗り固められたものだ。
12時半過ぎになって、脇田から直樹さんが帰宅したとの情報が入った。
そこで尾行を一旦中止にしてもらった。これで予算の30時間のうち、9時間30分を使いきったことになる。脇田と翌日の夕方4時に詳しい報告と作戦会議をすることを決めた。

次の日、この前と同じ場所の駅前の古い喫茶店へ行くと、奥の席に脇田と若い男が待っていた。
私はもう一度深呼吸をしてから、脇田の前に腰を下ろした。
これから聞く脇田からの報告は悪いことばかりに決まっている。ショックで精神疾患になってしまうかも知れない。だがすでに覚悟は固まっている。
脇田からの報告は、案の定の想定通りの内容だった。
昨日携帯に送られてきた、我が家のレクサスの助手席にあの泥棒猫を乗せている写真、部屋に入る写真、電気の消えた窓の写真、焼き肉屋で女と直樹さんが食事をしている写真まで、鮮明に撮れている。
「これで浮気の証拠になりますよね?」と、脇田に念を押したが、
「奥様が離婚訴訟を提訴するおつもりでしたら、女の家に行ったのが一度きりですと、証拠としてはまだ弱いです。『一線を越えてない』などと、どこかの政治家のような申し開きをされる可能性もあります。ですが、離婚訴訟のおつもりではないのですよね?」
「直樹さんにはこの女と何が何でも別れてもらいます。その為にはどうしたら良いのかしら。」と、冷静を装って尋ねると、
「まずはこの女の身元を把握しましょう。ご主人様とこの女との密会写真も、あと何枚か撮れるようでしたら、なお宜しいかと存じます。また相手がホステスですと、女の素行調査も有効でしょう。」と、脇田が元から低い声をさらに低くして答えた。
「お願いします」と頭を下げると、
「女の勤務先や家族構成、出身地、また友人や上司からの評判を集めるのも役に立つのではないかと思われます。」
「はい、万事お任せします。」と答えると、脇田が言い難そうに、
「奥様、その折の、その追加の調査費用のことでございますけれども。」と切り出した。
「分かりました。あと20時間分の尾行が残っていたと思いますが、その他にも費用が必要ですか?」と尋ねると、
脇田はバッグの中から使い古された計算機を取り出した。その分厚い計算機をパチパチと押しながら、
「概算で、86万6780円也でございます。女の出身地が沖縄や北海道などの遠方ですと運賃などの実費をお願いすることもございますが、もちろん、その前に奥様のご意向をお伺いさせて頂きます。」と言いながら、料金表と手書きの計算書を差し出してきた。
さらに86万円とは手痛い出費である。だが、脇田とUI興信所の調査能力は脱帽した。たった10時間の尾行でここまで完璧な証拠写真を揃えてくるとは、鮮やかな手並みである。
直樹さんを家庭に取り戻す為ならどんなに費用が掛かろうと惜しくはない。それだけの価値のある、これは未来への投資なのだと、自分に言い聞かせた。
「了解しました。振り込みます。結果はいつ頃出ますか?」と聞くと、
「10日から二週間くらいかと思います。」と返ってきた。
脇田と別れて喫茶店を出ると、激しい疲れを感じて立ち眩みがした。思わず駅の階段の手すりに摑まるほどだった。

調査結果が出るまではポーカーフェイスを貫くつもりだ。全ての証拠が揃ってから直樹さんを詰問して、一気にことを決するのだ。
直樹さんにあの女と別れると約束させて、絶対に二度とあの泥棒猫とは会わないようにさせるのだ。
いつも通りに朝ご飯を作り、いってらっしゃい、お帰りなさいという挨拶も、普段通りの振る舞いを心掛けた。意外にも自分は演技が上手いように思えてきた。
「そうそう、お祖母さんの具合は、どうだったの?」と、数日してから、出掛ける間際に直樹さんが聞いてきた。
「だいぶ惚けが進んできたようで、私のことも分かっているのか、認識もしていないのか、そんな感だったの。」と答えると、
「そうかぁ、ふうん。」と、直樹さんは気のない素振りで靴を履いて出て行った。

≪詰問の場≫

それから二週間後のことである。一月の中頃、激しく冷え込む夜である。
直樹さんに早く帰れる日を聞いて、直人の誕生日会にすき焼きをするので、ケーキを買って帰ってきて欲しいとお願いした。

直樹さんが、「ただいまぁ~」と、呑気に言いながらリビングに入ってきた。
「直人が大好きなチョコレートケーキにしたよ~。直人は、どこだい?おーい、直人!」
今夜の我が家のダイニングルームは、特別に綺麗に片付けられている。普段はテーブルクロスが敷かれて花瓶に花が飾られているダイニングテーブルなのだが、何一つ物が置かれていない。
「んん、テーブルの上の醤油皿と雑誌は、どこへやったの?すき焼きするからなの?えっと、何か手伝おうか?」と、直樹さんがおどけた様子で聴いてきた。
「直樹さん、お話があるので座って下さい。」と、直樹さんがいつも座っている椅子を引いた。
「どうしたの?すき焼きを楽しみに帰ってきたんだよ、お腹ぺこぺこだから早くね。」と、能天気な顔でネクタイを解いている。
「もしかしてサプライズパーティーってやつなの?ええっ、手が掛かり過ぎじゃあないか?」と、にやけた笑いを浮かべた。

「直樹さん、こちらが脇田さんです。」と、それまで奥のソファに座っていた脇田を手招きした。
「ご主人様、初めまして。UI興信所の脇田でございます。」と、脇田がしゃがれた低い声で直樹さんに名刺を差し出した。
直人さんは急に真顔になって、まるで化け物でも見つけたような怯えた表情で脇田を凝視した。
「興信所?探偵さん?」と、つぶやいた直樹さんが、一瞬にして青覚めるのが見て取れた。
「直人は、今夜はおばあちゃん家にお泊まりです。直樹さんに見て頂きたいものがあるのです。」と、私は冷たい口調で言い放った。
それから、ダイニングテーブルの上に、直樹さんが見やすいように、ゴルフ場で撮られた写真から差し出した。
「直樹さんと、安永さん、茜さん、それから、すずさん、ですよね。」と、名前を読み上げた。
続いて、レクサスの助手席に女を乗せている写真、女の部屋に入るときの写真、電気の消えた窓の写真、焼き肉屋で食事をしている写真を順番に並べた。
さらに、直樹さんとすずなる女が並木通りを歩いている写真、真夜中にまたも女の家に立ち寄っている写真を追加した。
直樹さんの顏からはすっかり血の気が引いて、蝋人形のようになっている。
「ごめんなさい。」と直樹さんが言った。
「ちょっとした出来心だ。でも、相手は銀座のホステスなんだから、本気で相手にした訳じゃない。もちろん、あちらの女性も商売だから、それだけのことなんだ。風俗と変わらないよ。その浮気ではないから、えっと、その、直人が大事だし、家庭を壊すとか捨てるとか、そんな気持ちはないんだ。」と、しどろもどろになって言葉を繋いでいる。
私は黙って、女の戸籍抄本を見せた。
「本名は、津田由美子さん、27歳、離婚歴がお有りです。」と、突き放すように冷たく言った。
その上で、すずなる女が高級ホテルの入り口で、でっぷりと太った男と手を繋いでいる写真と、白髪の老人と腕を組んで自宅の前を歩いている写真、直樹さんが遊びに行ったすずの部屋の窓から、この白髪の老人が顔を出している写真の三枚を並べた。
「目が覚めたよ。僕が悪かった。謝る!本当にごめんなさい。」
完勝だ!と私は思った。
鈴虫の音を聞いて眠れなくなっていた頃から長い時間が過ぎた。ようやく一矢を報いて、
胸の好く思いである。そうあの激しい胸騒ぎは、相手の女の名前が、鈴虫のすずだったからなのかも知れない。
「それでは、この女とは綺麗さっぱり別れて下さるのですね。」と、脇田がしわがれた声で口を開いた。
「もちろん、当たり前です。いや、そもそも別れるというよりも、付き合っていないのです。相手は仕事なのですよ。
脇田さんもご存知かと思いますが、何年か前にそういう司法判断がありましたよね。
水商売の女との関係は、枕営業であって不貞行為ではなく商業行為ということになりました。あの通りなんですよ。」と、直樹さんが熱っぽく語った。
「よろしゅうございました。」と、脇田は満足げな笑みを浮かべた。
「こちらの奥様は離婚などということは少しも考えていらっしゃらないのです。ご主人様との温かな家庭を守りたい一心で、それはもう必死で無我夢中でらしたのです。奥様の深い愛情をどうかお汲み取り下さいませ。」と脇田が言うと、
「はい、分かりました。もう、よく分かりました。」と、直樹さんが何度も頭を下げた。

≪すず・逆襲≫

『ごめん、27日の同伴だけど、お仕事の用事が入ってしまいました。ごめんね』と、藤井さんが急に同伴の約束を断ってきた。
『お仕事ですから仕方ありませんね、とっても楽しみに待っていましたけれど、了解です。』と、返信したけれど、そこからの返信が届かない。
藤井さんとは、一日に一度は必ずラインをやり取りしていて、多い日には10回くらいもラインが届いていたのに、何故だか急にラインの回数が減ってしまった。
『藤井さん、どうしていますか?』
『お忙しいですか?』
『もしかして、お風邪とかですか?インフルエンザが流行っていますよね』
『寂しいなぁ』
何度もラインを送っても返事がないので、ハートの付いているスタンプを連打した。次の日になってから、
『ごめん、待っていて』と短い返信があった。

以下次項

最後までお読みになって下さって、ありがとうございました。相変わらずに、ベタな設定と下手くそな文章で申し訳ありません。


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